ドミニク・ペローは語る

◆◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆No93:ドミニク・ペローは語る
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

           東京オペラシティーで行われた
建築家ドミニク・ペローの講演会
           

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆

先日、東京オペラシティーで行われた、建築家ドミニク・ペローの講演会を
聴きに行ってきた。

ドミニク・ペローは、フランスの建築家。
1989年にフランスの新国立図書館のコンペ(設計競技)に弱冠36歳の若
さで1等当選。
その、4本のL字形の琥珀色のガラスの塔が敷地の4隅に立つ新国立図書館
の斬新な都市ランドスケープの建物がセーヌ河畔の目の前に姿を現し、完成
したのが1995年。
このことにより、一躍脚光を浴びる建築家となったことはメディアで聞いて
知っていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1997年にパリに旅行をした時に、4本の琥珀色のガラスの塔が立つ新国立
図書館を始めて見に行った。
その後、パリに旅行で行く機会があるたびに立ち寄って見に行ったので、通
算3回くらいは行ったと思う。
行く度に、天候は雨だったり曇りだったり晴れだったりで、4本の琥珀色の
ガラスの塔は、その時々の天気を映し出してそれぞれに異なる様々な表情を
見せてくれて、とても素晴らしい建物だと思っていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

昨日の講演会は、スライドを映しながらの講演会となる予定だったのだが、
事前のリハーサルで、日本側が準備した機材ではペローが意図したとおりに
映像を映し出せないことが判明。
ペロー自身の判断で、スライドの映写はなし、「語り」だけによる講演会に
て急遽行われることになったとのことが、冒頭で主催者側から説明された。
ペロー自身も、「今日は始めてやる形での講演会になる」と口火を切ると、
講演はスタートした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ペローは、建築を建てるという行為は、自然との「分離」を招く行為となっ
てしまうが、それは望ましいことなのだろうかと、まず、問題提議。
そして、そうならないための建築の解決の仕方をするために、自身がいつも
何を考え行っているかということを、ペロー自身の独特の語り口と言葉の
選び方で次々と語りだしていき、非常に引き込まれるものがあった。

建築を建てることには、「敷地と地形」が重要であるという視点もまた提議。
ペロー自身は仕事を請けてからまずすぐ敷地に行くようなことはせず、十分
考え方とコンセプトを検証してから始めて現地の敷地に立つようにしている
そうだ。
彼の建築に対する視点からのその理由を独特の語り口と言葉の選び方で次々
と語りだしていった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1時間半の予定の講演時間に対して、ペローは40分で自らの話を終え、
「あとは会場のみなさんとの質疑応答で、対話ある時間としたい」、と。

「え〜!、あと50分近く、講演会の半分以上の時間が残っているよ。ここ
は日本だし日本人にそんなこと求めても大丈夫なの」
と心配になった。
しかしポツリ、ポツリ、と出る質問に対して、ペローは各問いに対しての回答
の範囲を逸脱して自説と考えを縦横無尽に語りつくして、さらに講演会は
大賑わい。

大盛況で終わりました。

なんか、スタートの時から予定通りに進まず、誰もが予測しない展開で進んだ
講演会、というより、1つのショー。
すべてが根回しされた日本の講演会での時の流れ方たとはまったくもって異な
る、フランス的なアドリブで場当たりのようで、実はもっと大きな次元へと
展開していく、とても楽しい時間の流れの中に放り込まれて楽しめた1時間半
の講演会は、とても楽しい時間でした。

■ 以下、東京オペラ・シティーでやっている展覧会
「ドミニク・ペロー 都市というランドスケープ」のサイト。12月26日まで。。
http://www.operacity.jp/ag/topics/101022.php

■以下、フランス新国立図書館のHPサイト
http://www.bnf.fr/en/tools/lsp.site_map.html?ancre=english.htm

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■このメールマガジンは、以下の配信システムを利用して
発行しています。
登録と解除の手続きは、下記ページよりお願いいたします。
まぐまぐ 版登録と解除はこちらから
   http://www.mag2.com/m/0000142924.htm
melma ! 版登録と解除はコチラから
   http://www.melma.com/mag/73/m00124773/
E-Magazine版登録と解除はコチラから
   http://www.emaga.com/info/444111.html
めろんぱん版登録と解除はコチラから
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=005065

■ 配信者連絡先 hak444111@yahoo.co.jp
  ご意見、感想等、メールをお待ちしております。

始めての欧州一人旅

◆◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆No92:始めての欧州一人旅
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
      ヨーロッパの魅力にとりつかれたのは、
         15年前の95年冬の一人旅
 1度吸い込んでしまった「個人主義と自由の空気」は、忘れられない

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆

15年前の95年末の冬。突然、心の中にもたげてきた、「パリに行きたい!!」
という衝動的といってもいい気持に抗しきれず、私は年末年始の10日間の、
パリへの一人旅に、旅立ちました。
それ以来、その時吸い込んでしまった、欧州という場所がもつ、その独特な
個人主義と自由の空気」
の魅力の虜になってしまい、以後、時間とお金をやりくりして、毎年のように、
欧州へ、一人旅をせずにはいられない身に、なってしまいました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

15年前の95年の年末、例年になく、クリスマスから翌年の1月10日まで、
比較的長い仕事の休みがとれた私は、東京の自室で、もんもんとしていました。
社会人になって以来、ずっと仕事は忙しく、海外旅行をするなどということ
なんて思い付きもしない、典型的な日本のサラリーマン生活に没頭した生活を
送っていました。
歳はもうすぐ30歳目前という頃で、久しぶりの長期休暇のクリスマスを、
東京の冬の空を見上げて過ごしながら、
「こんな、ただ、忙しい仕事がいつまでも繰り返すだけの毎日でいいのかなあ」
と、ちょっとブルーな気分で、考えていました。
なにか、「余裕」とでもいったようなものが、欲しかったのかもしれません。

そんな時、東京のクリスマスの空の下で思い出していたのは、大学4年生の頃に、
友人と旅した、「1ヶ月間の欧州一周鉄道の旅」でした。
ホテルの予約をせずに、ユーレイルパスを使って、1都市2泊程度を目安に、
欧州大陸を気ままに行き当たりばったり、様々な国と都市を、周ったのです。
フランス、スイス、イタリア、オーストリア、ドイツ、オランダ、
どの国も都市も、それぞれに素晴らしく魅力的だったのですが、一番印象に残っ
ていたのは、フランスのパリでした。

「パリに行きたい!!」
そんな気持が、いつしか大きくなってきて、抑えきれなくなっていました。
12月27日、旅行会社JTBのカウンターへ、旅の具体的な予定も立てない
まま、ただ「パリに行きたい!!」という気持だけで、足が向かっていました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

「うちは今日の12月27日までが年末の営業なので、航空券の手配はできない
ですね。HISさんだったら、明日までやっているから、尋ねてみては。」
と、格安航空券で有名な旅行会社HISを紹介してもらい、知ることになった
のは、9年前です。
すぐに、旅行会社HISのカウンターへ。
「パリに行きたいんですけど。」
「いつからですか?」
「今すぐ。明日かあさって。」
今思い出すと、ずいぶん、無計画で横暴ともいえる旅計画(無計画?)でしたが、
旅行会社のカウンターは、飛行機の空席を、その場でパソコンで探してくれました。
「飛行機は、大韓航空が1人なら空席がある。ホテルの予約は、確認の手続きが、
最低3日は必要なので、今年は無理」、とのこと。
「じゃあ航空券だけで。」

ということで、ホテルの予約はなし、久しく喋ったことがないカタコト英語を頼りに、
パリへの一人旅を、その場で決めました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

晦日、12月31日の夜17:00に、パリのシャルル・ドゴール空港に、降り立
ちました。
1人で降り立つのは、始めて。
冬なので、日が短いパリは、もう、真っ暗な、夜。頼りになるのは、飛行機の中で読ん
だガイドブック「地球の歩き方」の情報だけ。
空港から市内へは、2本出ているバスか、鉄道が便利というのは、にわか勉強の情報。

空港で荷物を拾い、到着ロビーへのドアを開けて外へ出れば、そこは、もう、外国。
飛行機には、日本人が大勢乗っていて、日本気分でいられますが、荷物を拾って、到着
ロビーへのドアを開けて出た外は、多民族国家、フランス。日本気分は、吹っ飛びます。
肌の色が様々な背の高いアラブ人、黒人、白人が行き交う世界に、1人、飛び込む。
治安も日本のように良くはない。言葉の不安。読めないフランス語の看板。始めての
一人旅ゆえに、当時はかなり、緊張しました。

市内へ向かうバスの乗り場を、カタコト英語で尋ねて探していたら、1時間近く費や
してしまいました。
「エアーフランスバス」というシャトルバスで、市内へ向かうことに。乗客は満員で、
立ったまま、冬の夜の暗く、かすかな明かりの灯るパリの外環高速道路沿いの風景を、
眺めていました。
しかし、バスがパリの「どこ」に向かっているのか、自分で分かっていませんでした。
見たことがない場所に、バスは停車して、人を降ろしては発車し、次の停車場へと向
かいます。
3つめの停車場が、ライトアップされたエトワールの凱旋門でした。
そこで降りることに決める。
メトロの地下鉄駅に入り、回数券のカルネを買って、ホテルが集まっているポンピドー
センター近くの駅、シャトレまで、メトロ1号線に乗って、行きました。
晦日のメトロは、満員の乗客でした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

シャトレ駅から地上に出て、ホテルを探すことに。
ところが、2つのホテルを尋ねても「満室」。
大学4年生の頃の1ヶ月間欧州一周鉄道の旅ではこんなことなかったのに…。
さすがの私も、焦り始めました。
時計を見れば、もう、夜の20時半。
厚手のコートとマフラーを着ていても、こごえるほど寒く、見れば、道の上では、
ホームレスが、地下鉄の排気口からの温風に当たって、暖をとっている。

3件目のホテルを尋ねたけど、「満室」。私が困ったそぶりを見せると、
フロントのおじさんが「近くに知り合いのホテルがある。空いているか、聞いて
あげましょう」といって、電話をかけてくれました。
「部屋があるようだ。私の息子が案内します」、とのこと。
あの時ほど、救われたという思いに感謝した思い出は、今思うと、なかなか
ありません。
息子さんが案内してくれたのは、三ツ星の、洒落た小奇麗なホテルでした。
お礼のチップを渡そうとしたけれど、息子さんは「いいから」といって、受け
取りませんでした。
ともかく、感謝、感謝でした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

後で分かったのですが、パリで新年を迎えるために、大勢の人たちが、ヨー
ロッパ中から集まってくる習わしがあって、大晦日は、パリのホテルは満室に
なるようです。
空室を見つけることが簡単な欧州のホテル事情も、年末年始だけは、注意が
必要なようです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

15年前の95年冬の、始めての欧州一人旅は、おっかなびっくりなことばかり
でしたが、1週間、フランスに滞在。
アクシデントがあっても、出会ったホテルの息子さんのような人に助けられた
思い出や、街を歩く中で、出会った様々な出来事やフランスのエスプリに、私は
すっかり、ヨーロッパの魅力の虜になってしまいました。
個人主義でプライドが高いという印象のフランス人ということがよく言われま
すが、その懐は深く、触れ合ってみれば、その個人主義と自由の空気は、とても
魅力的です。
何回か旅を重ねてみると、そういった彼らがつくっている欧州の社会も、魅力の
ある制度や習慣の特徴をたくさんもっていることがわかってきて、毎年のように、
欧州へ、一人旅をせずにはいられない身に、なってしまいました。

良くも悪くもグローバリゼーションの時代と言われる21世紀を生きていくこと
になる日本人にとって、欧州の社会から日本が学べることは、たくさんあるような
気がしてなりません。

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■このメールマガジンは、以下の配信システムを利用して
発行しています。
登録と解除の手続きは、下記ページよりお願いいたします。
まぐまぐ 版登録と解除はこちらから
   http://www.mag2.com/m/0000142924.htm
melma ! 版登録と解除はコチラから
   http://www.melma.com/mag/73/m00124773/
E-Magazine版登録と解除はコチラから
   http://www.emaga.com/info/444111.html
めろんぱん版登録と解除はコチラから
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=005065

■ 配信者連絡先 hak444111@yahoo.co.jp
  ご意見、感想等、メールをお待ちしております。

オープン・エア・スクール

◆◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆No.91:オープン・エア・スクール
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
          
「オープン・エア・スクール」
          その青い空に映える白の輝きは、
      今でも世界で最も美しい、シンプルデザインの建築 

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆

私がオランダのアムステルダムにある1930年建設の「オープン・エア・スクール」
(空気学校)を始めて訪れたのは、80年代の後半、学生最後の欧州一周旅行の時だ。
アムステルダム中央駅から、トラム(路面電車)に20分ほど乗って、降り、地図を
確かめながらアムステルダム旧市街のはずれにある街の中の街路をくねくねと10分位
歩いたところに、「オープン・エア・スクール」(空気学校)は、あった。

建設された1930年の当時から現在に至るまで、小学校として使われている建物で、
白いシンプルな細い柱と梁のフレームが、4枚の床を支えているだけの、その単純なデザ
インの美しさは、必見である。
4階建ての四角い正方形の形をした平面プランの建物を、45度斜めに傾けて振り、広
い校庭の真ん中に、「ぽん」と置いただけの、小振りの白い小さな建物で、1927年に、
オランダの建築家、ヨハネス・ダウカーにより設計されたもの。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

その外観と空間は、これ以上単純に出来ないまでに、無駄な要素を削り取った、無骨す
ぎるほど、シンプルなデザイン。

8本の柱が、正方形の四角い形のプランのこの建物を支えて建っているのだが、
しかし建物のコーナー(正方形の隅角)に、この柱がないところがデザインの味噌で、
各階の四隅のコーナーは、ハンチ(斜め梁)の付いたキャンティレバー(片持ち梁)に
よる構造によって、空中に大きく持ち出された4枚の床が、空中に浮かび上がるように
空に向かって開放されたデザインが、美しい。

校庭に立って見上げると、外気に開け放たれた、大きな開放感のある正面のバルコニー
の両側に、ガラスのコーナーサッシによって囲まれた2つの教室が、45度斜めに振ら
れた線対称の位置に、配置されているこの建物の全体の姿を、眺めることができる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

細い8本の柱と、ハンチ(斜め梁)の付いたキャンティレバー(片持ち梁)に支えられ
た4枚の床しかない単純な白い鉄筋コンクリートの単純な構造体に、ガラスのコーナー
サッシを嵌め込んだだけの、この無骨すぎるほどにシンプルなデザインの建物は、
45度、建物を斜めに振って配置するという単純なアイディアによって、校庭やバル
コニーといった外部空間と、内部空間である教室の部屋とが、リズミカルな透明感に
よって連続する、非常に変化のある豊かな空間を、実現することにも、成功している。

建物の真ん中にある階段室を2階、3階、と昇っていき、階段ホールを出ると、まず、
45度振られた斜めの空間の効果によって、目が回り、一瞬、方向感覚を見失うかの
ような錯覚に陥らされる。
外の青い空に向かって大きく広がったバルコニーと教室に、太陽の光がさんさんと降り
注ぐ風景が、目に飛びこんでくる。太陽の光に反射する白い壁とガラスのサッシの間に
立つと、一体どこからが外で、どこからが部屋の中なのか、一瞬、分からなくなる、万
華鏡の中に迷い込んだような感覚に陥りそうになる空間を、体験することができる。
ともかく開放感があって、とても明るい。

私が訪れた時は、授業の休み時間だったようで、大勢の子供達が、机が置かれた教室の
中となく、外のバルコニーとなく、はしゃぎながら走り回っていて、子供達の大きな
笑い声に、建物中が満たされていて、まさしく健康的な空間、オープン・エア・スクー
ル=空気学校といったかんじがぴったりとくる風景が、そこには広がっていた。

机に座った青や赤のカラフル色の服を着た先生が、にこにこ笑いながら、子供達を見守
っていて、そんな場所を急に訪れて見学を申し出た私に、「Ok, you are welcome」と、
言ってくれたのだった。
後でわかったことなのだけれど、この時の私はラッキーだったようで、現在、この学校
の建物は、基本的に見学は不可のようです。
でも、訪れて外から眺めることはできるし、見学を申し出てみれば、私のようにラッキー
に恵まれる可能性はないわけではないでしょうし、訪れてみる価値は、十分にあると
思います。


■以下、「オープン・エア・スクール」が見れるサイト
http://www.degas.nuac.nagoya-u.ac.jp/ippei/03arch/netherland/Openluchtschool/001.jpg
http://www.degas.nuac.nagoya-u.ac.jp/ippei/03arch/netherland/Openluchtschool/002.jpg
http://www.degas.nuac.nagoya-u.ac.jp/ippei/03arch/netherland/Openluchtschool/005.jpg
http://www.degas.nuac.nagoya-u.ac.jp/ippei/03arch/netherland/Openluchtschool/003.jpg
http://www.degas.nuac.nagoya-u.ac.jp/ippei/03arch/netherland/Openluchtschool/004.jpg

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

ヨハネス・ダウカーにより設計された「オープン・エア・スクール」の、その単純で
はありながらも、様々なアイディアが詰め込まれた設計とデザインは、現在において
も、世界で最も美しい、シンプルデザインの元祖ともいえる建築だと思う。

オランダには1920〜1930年代に建設された数々の美しい近代建築が、今でも
たくさん残っている。
オランダはデザイン王国として有名で、近年の新しいデザインもまた、日本を含めた
世界中で、静かな話題になっている。

オランダという平らな国を訪れる魅力は、さまざまだといえるでしょう。


☆ ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■このメールマガジンは、以下の配信システムを利用して
発行しています。
登録と解除の手続きは、下記ページよりお願いいたします。
まぐまぐ 版登録と解除はこちらから
   http://www.mag2.com/m/0000142924.htm
melma ! 版登録と解除はコチラから
   http://www.melma.com/mag/73/m00124773/
E-Magazine版登録と解除はコチラから
   http://www.emaga.com/info/444111.html
めろんぱん版登録と解除はコチラから
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=005065

■ 配信者連絡先 hak444111@yahoo.co.jp
  ご意見、感想等、メールをお待ちしております。

プルーヴェと「住宅」の夢

◆◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆No.90:プルーヴェと「住宅」の夢
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
           Jean Prouve ジャン・プルーヴェの、
              「住宅」の夢と未来


☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆

 「新しい人(ビジネスマン)たちは、理想的な協同作業の精神を理解せず、
 商業的な意味をもつ建築様式を見つけ、どんな建築にも使用できるエレメ
 ントを、量産しようとした。
  これは私の考えとは、はなはだ違っていた」

これは、その特異な作品と業績により、フランスにおいて、近代建築のにおける
数々の新しいアイディアを生み出し、実現させることで、その発展に貢献した
建築家=建設家であった、Jean Prouve ジャン・プルーヴェが、1952年に、
その自らの生産手段であり拠点であった、マクセヴィル工場を、大企業フランス・
アルミ社に買収され、
「2度とあなたの工作所に近づかないように」
と追い出されたときに、語った言葉である。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ジャン・プルーヴェは、ドイツ国境に近い、フランス東部の町 Nancy ナンシーで、
金属職工であり、地元の芸術学校エコール・ド・ナンシーの校長でもあった、父、
ヴィクトール・プルーヴェの息子として、1901年に生まれた。
19世紀のナンシーといえば、美しい鉄工芸品の生産地として有名で、ナンシー派
エミール・ガレと言えば、アール・ヌーヴォーの美しいガラスと鉄の工芸品を生み
出した作家として、その美しい作品の様を、御存知の方も、多いかもしれない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ジャン・プルーヴェは、弱冠23歳で、ナンシー市に自らの工房を構え、1952年、
51歳の時に、その自らの生産拠点であった、マクセヴィル工場を、大企業フランス・
アルミ社に買収されて、工作所を去るまで、工作所=工場という、物を直接加工する
ことができる生産手段を、自ら所有し、
「自ら考案した建築や部品を、自らの手でつくる」
という、その独特な創作スタイルで、20世紀フランス近代建築の発展の、重要な位置
に、いつづけた。

工場の中で、油にまみれながら鉄を叩き、つなぎ、曲げ、組み立て、その感触をもとに、
立体的なスケッチを描いて、改良と発想のアイディアを、得ていたと言われている。
机に向かうよりも、工場で油にまみれながらハンマーを握り、鉄を加工して体を動かす
ことこそが創作だ、と考えていた彼は、自らを建築家ではなく、工作家=建設家、と称
することを、好んだと言われている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

プルーヴェは、建築家や建築エンジニアと組んで仕事をする中で、輸送や、組み立て
方法も考慮した、部材のユニット化の方法やディテール、建設方法と人工や工程を、
提案し、コラボレーションを行いながら、建物を建設するという仕事の仕方で、数々
の斬新なプロジェクトとアイディアを、実現していった。

建築家であるボードアン&ロッズと、エンジニアであるボディアンスキー、と組んで、
1939年に、パリ郊外クリシーに建設した「クリシー人民の家」は、そうした建築家
やエンジニアと組んでのコラボレーションの中で、プルーヴェのアイディアが、最も
成熟した形で実現したプロジェクトとして有名で、今でもその斬新なデザインを、現
地で見ることができる。
可動式で開閉する金属製の巨大な大屋根、雨樋を内蔵した縦長の金属とガラスのカーテ
ンウオールのディテール=細部設計などは、とても70年前のものとは思えないほど、
シャープで、クリアーで、美しい建物である。

見て気付かれる方もいるかもしれないが、現代フランスを代表する建築家、ジャン・
ヌーヴェルの作品、CLM/BBDO広告会社ビルなどは、プルーヴェのデザインのアイデ
ィアにヒントを得た作品であることは、確実だ。
ジャン・ヌーヴェル自身も、プルーヴェを、自ら最も影響を受けた尊敬する建築家と
して、賞賛を惜しまない発言をしている。

以下、クリシー人民の家、数々の住宅など、プルーヴェの建築作品が見れるサイト
http://www.t3.rim.or.jp/~sfjti/a&u/planning/prouve02.html
http://media.excite.co.jp/ism/061/02architecture12.html

以下、ジャン・ヌーヴェルのCLM/BBDO広告会社ビル他の建築作品が見れるサイト
http://tenplusone.inax.co.jp/archives/fieldwork/photoarchives/0410/030.html
http://www.architecture-photogallery.com/results-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB.html

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

その他の、プルーヴェと建築家のコラボレーションといえば、1925年に、建築家
ロベール・マレステヴァンが設計した、住宅の玄関扉の金物格子グリル、1940年代
に、建築家ル・コルビュジェの従兄弟のピエール・ジャンヌレと協働した、組み立て
住宅のプロジェクト、女性建築家シャルロット・ペリアンとのインテリア・サニタリー
=キッチン・水周りの製作プロジェクト、ル・コルビュジェ設計の集合住宅ユニテ・
ダビタシオンの、金属製床構造、キッチンセット、メゾネット階段、家具などの製作
とデザインなどがある。

コラボレーションの相手は、いずれも、フランスと世界の近代建築の歴史を代表する
建築家たちであり、20世紀の新しい建築プロジェクトが実現した場所には、必ず、
プルーヴェがいた、といっても、過言ではないだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「建築の部品を、自らの手と感性で製作して、組み立てて建物を建てる」

という創作方法をとったプルーヴェが、生涯、最も力を注いだプロジェクトに、金属
や木を材料に使った、安価な組み立て住宅の、プロジェクトがある。
「コック構造」と呼ばれる独特な形をした骨組みと、独自の形とシステムにデザイン
された外壁パネルにより、セルフビルド=自力建設が、極力可能な形の、庶民のための
住宅のデザインと、洗練が、目指された。
それは、工場生産ではありながらも、その中に、ものづくりの共同作業の手づくりの
温かさがこもった成果と、生活感の手の痕と痕跡をもまた失わずに実現された住宅を、
20世紀の時代に実現しようとする、プルーヴェの、住宅への夢であった。
ナンシーの住宅や、ムードンの住宅に実現されたそのデザインには、近代の工業化時代
の中で、工業化時代の材料を用いながらも、ヴィジョンのある生活観と、手づくりの
感覚がある、生活の豊かさを実現しようとした、プルーヴェの、住宅への夢を感じるこ
とができる。

以下、プルーヴェの住宅作品が見れるサイト
http://www.t3.rim.or.jp/~sfjti/a&u/planning/prouve02.html
http://media.excite.co.jp/ism/061/02architecture12.html
http://media.excite.co.jp/ism/061/02architecture11.html

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「新しい人(ビジネスマン)たちは、理想的な協同作業の精神を理解せず、
 商業的な意味をもつ建築様式を見つけ、どんな建築にも使用できるエレメ
 ントを、量産しようとした。
  これは私の考えとは、はなはだ違っていた」

これは、プルーヴェが、1952年に、その自らの生産手段であり拠点であった、
マクセヴィル工場を、大企業フランス・アルミ社に買収され、
「2度とあなたの工作所に近づかないように」
と追い出されたときに、語った言葉であるわけだが、この言葉が意味することは、
深い。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「新しい人」=「ビジネスマン」は、「住むための住宅」ではなくて、
「売るための住宅」を、つくる。

住宅の建設に、資本と企業が入り込む時代になると、「住宅」の風景は、急速に変わっ
ていくことになった。
住宅から「生活感」や「温もり」といった、手づくりの皮膚感覚が、どんどん消えて
いき、「商品」としての、空々しいイメージや装備や仕様ばかりが、どんどん増えて
いく。
庶民の人たちが住宅を建てるときに何が大切なのか、その住宅を購入する庶民という
当事者にはもちろんのこと、住宅を供給する住宅メーカーやマンションディベロッ
パーにも、わからなくなってしまった時代になって、久しい。

「住むため」に本来的に住宅に必要なものが、見えなくなってしまったので、
「売るため」に必要な「装備」や「仕様」ばかりが、あたかも住宅に必要不可欠なも
のであるかのように、メーキャップされて、住宅が建つ時代に、なってしまった。

「ビジネスマン」が建てようとしているのは、実は「住宅」などなのではなく、何か、
別の、メーキャップされた「商品」の「イメージ」なのではないか。
その「装備」や「仕様」さえも、実は「売るため」の空虚な「イメージ」なのでは
ないのか。
「生活感」や「温もり」といった、住宅に必要な、「実体」や、「夢」ではなくて。

もしかしたら、現代は、住文化が、歴史上、最も貧しい時代なのかもしれない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

だが、21世紀になった現在、「住宅」の希望は、夢のある方向に、もしかしたら、
もう1度、向かうことができるかもしれない。
住宅が夢を見ることができる時代が、もう1度、訪れることがあるかもしれない。

大量生産と、大企業が、必ずしも、よしとされた時代は、過ぎ去りつつあるという、
観測も、できなくはない時代だからだ。
現代社会は、企業の組織の形が、ピラミッド型から、フラット型へと、向かっている
時代だと言われる。
それにしたがって、仕事の形も、従来の上位下達から、個人一人一人が、目的に応じ
て結びつき、コラボレーションしながら創作していく形に、情報技術とコンピュー
ターのユビキタスな発達の中で、変わりつつあるのだと、見ることもできると言われる。

プルーヴェが、自らの工場を、大企業フランス・アルミ社に買収され、
「2度とあなたの工作所に近づかないように」
と追い出されたとき、
そこには、あきらかに、「大量生産」と、「大企業」へと向かう、時代の流れがあった。

それが、最近は、「個別対応のこまめで多様な生産」や、重厚長大よりも、「フットワー
クのきくフラットな組織」へと、時代が向かいつつあるのだとすれば、「住宅」も、
商品という空虚な「イメージ」から、「生活感」や「温もり」といった、住宅に必要な、
「実体」や、「夢」に、向かうことが、できるかもしれない。
少なくとも、そういう夢を、今、少し、見てみたいと、思うのである。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

プルーヴェは、1971年のポンピドセンターのコンペ(設計競技)において、
その審査委員長を務めた。
レンゾ・ピアノ(イタリア)と、リチャード・ロジャース(イギリス)の、2人の
建築家のチームによる斬新な案を、1等に担ぎ出し、これを実現させることに、尽力
し、貢献した。
審査の過程で、レンゾ・ピアノと、リチャード・ロジャースの案の、引張りと天秤に
よる、絶妙なバランスの新しい構造体のデザインが、果たして本当に実現できるのかと、
審査員の間で、議論になったという。
当時、審査員には、アメリカの大御所建築家のフィリップ・ジョンソンや、ブラジル
の建築家、オスカー・ニーマイヤーなどがいた。
プルーヴェは、「こうすればできるじゃないか」と、紙の上に、引張りと天秤の構造体
のスケッチを、サラサラッと描いて見せたというのは、大きな伝説として、残っている。

プルーヴェは、ポンピドセンターのコンペ(設計競技)において、21世紀のパリのた
めの新しい建築の実現のために、大きな役割を果たした後、夜間の建築学校の教師を勤
める余生を送り、1984年に、82歳で、故郷ナンシーの地で、世を去った。

プルーヴェが見た建築と住宅へのヴィジョンと夢は、今世紀の幾多の人々の胸の中に、
彼が残した住宅作品やポンピドセンターと共に引き継がれ、実現を待っているのかもし
れない。

以下、プルーヴェを紹介しているサイト
http://media.excite.co.jp/ism/061/index.html
http://www.e-design21.com/designers/jeanprouve.htm
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/021030/prouve_eames/index3.html
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2004/prouve041008b/

ポンピドセンターのコンペ(設計競技)の経緯については、
◆ ◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆No60:ボーブール
http://blog.mag2.com/m/log/0000142924/106110982?page=1#106110982
に詳しい。
 
☆ ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
■このメールマガジンは、以下の配信システムを利用して
発行しています。
登録・解除の手続きは、下記ページよりお願いいたします。
まぐまぐ版登録・解除はこちらから
   http://www.mag2.com/m/0000142924.htm
melma ! 版登録・解除はコチラから
   http://www.melma.com/mag/73/m00124773/
E-Magazine版登録・解除はコチラから
   http://www.emaga.com/info/444111.html
めろんぱん版登録・解除はコチラから
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=005065
■ 配信者連絡先 hak444111@yahoo.co.jp
  ご意見、感想等、メールをお待ちしております。

オランダのMVRDV

◆◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆:No.89 オランダのMVRDV
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

オランダデザインとMVRDV
「100戸の高齢者用集合住宅」を訪ねる

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆

オランダはデザインの最先端を走る国の1つだ。
今、最も最先端で刺激的なデザインを見たかったら、オランダを訪ねてみるのが
いいだろう。
もちろん、ロンドンやパリなども素晴らしいけれど、アムステルダムを訪れてみ
ると、街中全てが新しくデザインされた建築やプロダクツなどで埋め尽くされて
いる感があって、目が離せない。

スキポール空港も素晴らしいし、そこからアムステルダム中央駅(CS)に向かう
車両のデザイン、中央駅前の広場にあるマスカットグリーンの公衆電話のデザイン、
トラム(路面電車)のデザインなど、歩いていると、これでもかというくらいの
デザインの波状攻撃には、デザイン好きの旅行者だったら、きっとうれしい悲鳴を
上げずにはいられないだろう。

■以下、私が撮影したスキポール空港から市内への写真
http://photozou.jp/photo/list/146408/386229

■以下、私が撮影したアムステルダム中央駅(CS)の写真
http://photozou.jp/photo/list/146408/386235

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

特に建築のデザインにおいて、オランダは今とっても注目されている。

20世紀末から今世紀現在のデザインにおいて最も注目される建築家と言われる
レム・コールハースがオランダ出身だということを、ご存知の方は多いと思う。
彼が率いる設計事務所OMAは、世界中に数々の注目のプロジェクトを建て続けて
いて、現在も新しいプロジェクトが世界中で進行中である。

OMA出身の建築家集団 MVRDVは、地元オランダを基盤に活動していて、
数多くの集合住宅を中心としたプロジェクトを造り続けている。
2007年には、東京の表参道に GYRE という商業ビルも完成させた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

MVRDVが設計した
オクラホマOklahoma 100戸の高齢者用集合住宅」
は、1997年の完成後、メディアに発表されて日本でも注目された。

アムステルダムを訪ねた折にはぜひ見てみたい建物であるのだが、ここにたどり着
くのはちょっと大変だ。
アムステルダムの西の郊外にある建物で、日本で手に入る建築雑誌の案内MAPを
見ても、正確な位置が書かれていないことが多い。
アムステルダム旧市街を中心に建築雑誌の案内MAPは作られていることが多い
から、郊外にある「100戸の高齢者用集合住宅」の位置は、どうしても地図の枠
の西のはずれの欄外になってしまって、「更にこの西側」としか書かれていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

アムステルダム中央駅(CS)のツーリストインフォーメーションのカウンター
で、「100戸の高齢者用集合住宅」に行く方法を調べたのだけれど、建物の
写真を見せるとすぐに教えてくれたのには、ちょっと驚きだったのと、
「さすがオランダ」というかんじ。

オランダの人たちは建築やデザインに対する関心が高くて、著名な建築家や建物
のことはたいてい誰でも知っているのだ。
日本で著名な建築家、例えば安藤忠雄の設計したマンションの写真を見せて、
「ここに行きたいのだけれど」
と尋ねても、多分タクシーの運転手を含めた、ほとんどの人がわからないだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

トラム(路面電車)に乗って、アムステルダムの西の郊外まで行き、終点の2つ
手前の駅で降りる。
そこは、2階建てのテラスハウスの住宅が並ぶ、緑が豊かな郊外の風景。
しかし、どちらの方に歩いて行ったらいいのか、方向感覚が全然わからない。

「困ったな」
そう思いながら周りを見回すと、道路の向こう側の住宅の前で、ホースの水で
イカーの洗車をしている男性が1人見える。
他には誰もいない、のどかな郊外の風景である。

意を決してその男性に向かって歩き、「100戸の高齢者用集合住宅」
の写真を見せながら、
「すいません、ここに行きたいのだけれど、わかりますか?」
と、尋ねる。

男性は写真を覗き込むと、
「ああ!、MVRDVなら近くだよ、乗せてってやるよ!」
と、予想もしない展開に。

洗車をいつの間にか終えていた彼の車の助手席に座ると、車は出発。
緑の森を抜け、小さな湖の横を抜けて車は走り、あっというまに
「100戸の高齢者用集合住宅」の前まで、連れていってくれました。
厚く感謝と御礼でした。

彼もこの建築を知っていたという「さすがオランダ」というかんじには、再び
のちょっとうれしい驚き。
「100戸の高齢者用集合住宅」のその始めて見るそのデザインの素晴らしさ
が、目の前にありました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「100戸の高齢者用集合住宅」
は、9階建てで、建物の外壁全体が木材の下見板貼りに覆われた、端正な中にも
温もりが感じられるデザインの建物。
55歳以上の老人専用の集合住宅で、緑あふれるアムステルダム郊外の街並みの
中に、周りの大きな木々と調和して建っている。

びっくりするのは、正面の道路側に向かって、大きく飛び出すように張り出した、
13戸の住宅の大きなヴォリュームだ。
87戸しか入らない限られた敷地の広さの中で、100戸という住宅を余裕のある
住戸として確保するため考え出されたアイディアで、飛び出した部屋の下は道路
と一体の公開空地になっていて、誰でも歩くことができる街並みの中の広い空間
を提供することにも成功している。

南側に周ると、カラフルな色ガラスの手すりがはめ込まれた小さなバルコニーが
ランダムに張り出していて、見ていてとても楽しく優しさを感じさせるデザイン
になっている。
単調で殺風景になりがちな集合住宅の表情に変化と個性を与えることに成功した、
素晴らしいデザインだ。

■以下、「100戸の高齢者用集合住宅」が見れるサイト
http://www.holland.or.jp/nbt/buildings/oklahoma.htm
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/holland_fmd/12/

■以下、私が撮影した「100戸の高齢者用集合住宅」の写真
http://photozou.jp/photo/list/146408/389598

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

アムステルダムには、MVRDVが設計した集合住宅が他にもたくさん
ある。
海の岸壁に係留された客船のようなイメージの「シロダム」
も、カラフルで見ていて楽しい。
写真だけになるけれども、紹介しておきたいと思う。

■以下、私が撮影した「シロダム」の写真
http://photozou.jp/photo/list/146408/392890

☆ ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■このメールマガジンは、以下の配信システムを利用して
発行しています。
登録と解除の手続きは、下記ページよりお願いいたします。
まぐまぐ 版登録と解除はこちらから
   http://www.mag2.com/m/0000142924.htm
melma ! 版登録と解除はコチラから
   http://www.melma.com/mag/73/m00124773/
E-Magazine版登録と解除はコチラから
   http://www.emaga.com/info/444111.html
めろんぱん版登録と解除はコチラから
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=005065

■ 配信者連絡先 hak444111@yahoo.co.jp
  ご意見、感想等、メールをお待ちしております。

ロンシャン礼拝堂

◆◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆:No.88 ロンシャン礼拝堂
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

            東駅からスイスとの国境へ
ル・コルビュジェロンシャン礼拝堂を訪ねる

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆

パリには7つのフランス国鉄(SNCF)の列車が発着するターミナル駅がある。
ここからフランス国内、あるいは国境の向こうのロンドン、ベルギー、スイス
などに向かう列車が放射状にそれぞれ出ていて、向かいたい地方の方面によって、
出発駅が違う。
6つの駅は全て、スイッチバック式の終着駅形式の駅で、駅同士は、鉄道では
繋がっていない。
だから、6つの駅の間は、メトロで移動する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

東駅 Gare de l’Est は、これら6つの駅の中で、どちらかといえば小振りでうら
寂しい雰囲気のかんじがする駅だ。
ロンドンやベルギー・オランダへと向かうフランス版新幹線TGV北方線が発着する
北駅や、南の暖かいニースやマルセイユなどに向かうTGV南方線が出ているリヨン
駅などは、いつもごった返していて華やかなかんじがするが、それに比べてスイスや
ドイツ方面への列車が出ている東駅は、ひっそりとしていて静かなかんじだ。
北駅からパリ中心へと向かうメトロ4号線に乗っても、東駅はその途中の通過駅で、
うっかりとしていると知らぬ間に通り過ぎてしまう。

たしかリュック・ベッソン監督の映画「キッス・オブ・ザ・ドランゴン」で、主演
ジェット・リーが当局の追及を逃れてパリ市内に潜伏しようとする時、辿り着いた
場所が東駅だったという設定になっていたと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

今の東駅はそんなかんじだが、100年前、この駅はストラスブール駅という名前
で、世界一の名特急であるオリエント急行がトルコのイスタンブールへと出発する
時の始発駅であり、パリ発の国際鉄道を象徴するとても栄えた駅だった。

航空機のスピード化時代の波に勝てずに、オリエント急行は1977年に一度その
歴史に幕を閉じるが、1982年にイタリアのベニス行きの路線として再度蘇った。。
今はその世界一のサービスを売り物に、東駅を始発駅として、昔ながらのそのブルー
の車体の列車を走らせている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

私が東駅を訪れたのには1つの目的があった。
近代建築の巨匠と呼ばれる建築家 ル・コルビュジェ(1887〜1965)
が設計したロンシャンの礼拝堂の空間を訪ねることである。

ロンシャンの礼拝堂は、フランスの東の端のスイス国境に近い小さな町ロン
シャンにあり、パリから訪ねるにはちょっと遠く、できれば1泊旅行で行き
たいところなのだ。
そこをなんとか日帰りで訪れる方法を探すため、私は東駅の切符売り場に来
たのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

地図を持ち込み、東駅の切符売り場で手に入るフランス語の時刻表を調べ、
インフォーメーションカウンターでそれらを示しながらカタコトの英語で
やり取りをして、ロンシャンに日帰りで行く方法を調べた。
ロンシャンの駅は小さくて、日本で手に入るトーマスクックの時刻表には、
その駅自体が載っていなかったからである。

調べた結果は、ロンシャン Ronchamph 駅自体を目指したのでは日帰りで
帰ってくることは不可能だが、手前のベルフォート Belfort 駅に停まる
急行は1日に2本だけ出ているので、それを使えばなんとかなりそうだと
いうことだった。

行きは、東駅を朝7時に出る急行に乗れば、午前11時半にベルフォート
駅に着くことができる。
帰りは午後5時にロンシャン駅を発つ列車に乗って、ベルフォートで急行に
乗り換え、夜の9時半にパリ東駅に帰ってくることができる。
行きのベルフォートからロンシャンまでの間は、タクシーを使うしかない。
それが日帰りが可能な唯一のルートであり方法だった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次の日の朝、早めの朝食を済ませた後、まだ空が暗い早朝の6時にホテルを
出た。
メトロに乗って東駅に向かい、そこからベルフォートに向かう国鉄(SNCF)
の急行列車に乗った。
東駅を滑り出して発車した列車の車窓から、しだいに白んでくるパリの空を
見上げながら、久しぶりにワクワクした気分でいたことを今でも覚えている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

4時間列車は走り続け、11時半にベルフォート駅に到着。
ホームに屋根がない、フランスの地方の町特有の駅の風景である。
心地よい日射しで天気は快晴。
思わず青い空を見上げる。

駅の前を見渡すと、ラッキーなことにタクシーが1台、客待ちしている
ところだった。
ロンシャンの礼拝堂の写真を運転手に見せて、「ここに行ってくれないか」
とたのむ。
手元のクシャクシャの新聞から目を上げて写真を覗き込んだ運転手は、
「Oh! Le Corbusier!! OK!」
そう叫ぶと、にっこりと笑った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

平らな牧草地帯の中をまっすぐ一直線に伸びる道を、タクシーは猛スピードで飛ばし
ながら、隣の町ロンシャンを目指して走った。
やがてはるか遠くの正面に見えてきた小高い丘を指差して、
「あれだよ」
と運転手が言う。
よく目を凝らして見ると、緑の丘の頂に、白い不思議な形の丸みをおびた塔のような
ものが、木々の間からかすかにのぞいて建っているのが見えた。
それは私がこの目で始めて見たコルビュジェロンシャン礼拝堂の姿であった。

タクシーはロンシャンの丘の坂道を登り、丘の頂のゲートの前に停まった。
ゲートを抜けてなだらかな緑の芝生を歩くと、曲線を描き、他では決して見ることが
できないであろう不思議な形をした、太陽の光の下で白く輝く礼拝堂の姿がそこに
あった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ロンシャンの礼拝堂は、
「ノートル・ダム・デュ・オー礼拝堂Chapelle Noter-Dome-du-Haut」が正式な名称で、
建築家 ル・コルビュジェにより1950年に設計が開始され、1955
年に完成したものだ。

コンクリートは自由な形の表現が可能だが、その材料の特徴を存分に発揮
して造られた建物で、かつて見たことがないようなその不思議な形の建物
の表現は、完成当時においてもかなりショッキングなもので、大きな話題
になったと言われる。

しかしその造形は、斬新というよりは、人間の心の底にある遠い太古への
記憶に静かに訴えるものだと言った方がよいだろうか。

それは、蟹の甲羅をかたどったようであり、丘の頂に漂着したノアの方舟
のようでもあり、横たわる女性の豊かな肉体をかたどった彫刻の表現のよ
うにも見える。
しかし、そうしたことはその量塊(かたまり)としての造形による構成か
ら類推と連想ができるだけであって、それらに直接形が似ているというわけ
でもない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

曲線と丸みをおびた形が多用された礼拝堂の外部の仕上げは、白いスタッコとコンク
リートの打ち放しにより、その建物の不思議な造形が表現されている。

特にコンクリートの打ち放しは荒々しい仕上げの表現となっていて、これをコルビュ
ジェはロンシャン以降の晩年の作品において好んで使うようになり、ブルータリズム
と呼ばれる50年代における建築の新しい表現の流行を作り出したりもした。

建築家 ル・コルビュジェの傑作と言われるロンシャンの礼拝堂は、彼自身
の作風の大きな転換点になった作品であるとも言われている。

それまでのコルビュジェは直線や幾何学、プレーンな面など、モダンでシン
プルな透明感のあるデザインによって近代建築の基礎を作り上げてきた。
しかし、ロンシャン以後の晩年は、荒々しいコンクリートの打ち放しや木材や
石といった材料によって、不定形で複雑な造形の作品を作り、遺したのである。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ロンシャンの礼拝堂は、その内部空間もまた素晴らしい。

軸回転する大型の1枚扉の入口を開けて入ると、中はかなり暗いのだが、
奥の方に万華鏡のような色とりどりの光が射し込む場所があることが
わかる。

1mくらいはありそうなかなり厚い壁に穿たれた、大小さまざまな大きさ
の正方形の窓が壁全体に散りばめらるように開いていて、青や赤や黄色や
緑の色ガラスがはめ込まれているのだ。
そこから、絞られた太陽の光が、暗いひんやりとした礼拝堂の中に7色の光
となって引き込まれる。

低い曲面を描くコンクリートの打ち放しの天井の下で7色の絞られた太陽の光
に打たれていると、なんとも荘厳で静かな緊張感と穏やかさに充たされた、
不思議な気持ちになってくる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ロンシャンの礼拝堂は、なだらかな斜面の緑の芝生の上に建っている。

外に出て、緑の芝生の上で横になり、暖かい日射しを浴びながら青い空の下
でしばし日向ぼっこ。
礼拝堂はポツンと芝生の上に置かれるように建っていて、その白い外壁が
日射しを浴びてまぶしい。
ロンシャンの礼拝堂は、あんがい小さい。
写真で見て想像していたよりもかなり小さいことが、1回りした後で外から
改めて見てみるとわかる。
すごいけど小さくてちょっとかわいい礼拝堂。
ロンシャンの礼拝堂はそんな場所である。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

3時にロンシャンの礼拝堂を出て、ロンシャンの町へと向かう下りの坂道
をくねくねと歩いて下りる。
30分くらいで丘のたもとのロンシャンの町まで下りることができた。

町の小さなカフェで遅い昼食と珈琲。
5時にロンシャンの無人駅から列車に乗り、夜はもう暗い9時半にパリ
の東駅に到着。

素晴らしい空間に出会うことができ、また列車の旅を楽しみながらフラ
ンスの地方の自然を日向ぼっこしながら満喫できた、とても充実した
1日だった。

以下、ロンシャンの礼拝堂が見れるサイト
http://www.galinsky.com/buildings/ronchamp/
http://figure-ground.com/ronchamp/
http://www.architecture-photogallery.com/results-%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E6%95%99%E4%BC%9A.html
http://4travel.jp/traveler/ippuni-gm/album/10179291/

以下、ロンシャンの礼拝堂のHPサイト
http://www.ronchamp.fr/

☆ ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■このメールマガジンは、以下の配信システムを利用して
発行しています。
登録と解除の手続きは、下記ページよりお願いいたします。
まぐまぐ 版登録と解除はこちらから
   http://www.mag2.com/m/0000142924.htm
melma ! 版登録と解除はコチラから
   http://www.melma.com/mag/73/m00124773/
E-Magazine版登録と解除はコチラから
   http://www.emaga.com/info/444111.html
めろんぱん版登録と解除はコチラから
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=005065

■ 配信者連絡先 hak444111@yahoo.co.jp
  ご意見、感想等、メールをお待ちしております。

ホテル探しとガイドブック

◆◇欧州からの文化の風【日本の未来のために】◇◆:No.87 ホテル探しとガイドブック
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

           ホテル探しとガイドブック
          欧州での宿を探しながらの旅

☆  ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆

ドイツ文学者の池内紀はエッセイストでもあり、旅の本を何冊か出している。
その著書「異国を楽しむ」の中で池内紀が海外旅行の「3種の神器」としてあげ
ているのが、トランク、トーマスクックの時刻表、そしてミシュランのホテル
年鑑の3つである。
そこで、池内紀ミシュランのホテル年鑑を紹介しているくだりは、こうだ。

 主だった都市を網羅した1冊もあれば、国別にくわしいものもある。
 大きな町はカラー地図つき、そこにホテルの地図が略図でついていて、町の
どの辺りにあるかがわかる。
 住所、電話、ファックス、部屋数、レストランの有無、料金の目安などさま
 ざまなデータが数行にまとめてある。
 旅慣れてくると、その数行から、ホテルのたたずまい、部屋のつくり、主だ
った泊り客の客筋までわかってくる。
「異国を楽しむ」池内紀

ミシュランのホテル年鑑は、残念ながら和訳では今のところ手に入らないが、
ホテルを探しながら旅をすることが、欧州旅行には欠かせない大きな楽しみの
一つであることが、よく伝わってくるくだりだと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

そうした楽しみを私が知ってしまったのは、大学生の卒業旅行で28日間をか
けて始めての欧州1周旅行をしたときのことだ。
もう20年以上も前のことである。

当時、手に入る日本語の欧州旅行のガイドブックは、「地球の歩き方」だけだった。
これを片手に、28日間の欧州1周の旅をした。

そこに書いてあったのは、

「欧州を旅行する際に、ホテルを予約していく必要はありません。
欧州の都市にはホテルが集まっている場所がいくつかあって、そこに行けば空き
部屋を見つけることは難しくないからです」
という1文だった。

「え〜!? 本当なの? 大丈夫なの?」
旅立つ前に当然のごとく、私もまた、そう思ったものだった。
しかし、28日間、ホテルを探しながら欧州を旅してみて、一度も
「満室です」
と断られたことは、なかったのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

以後、欧州を旅行する際、1泊目のホテルは日本で予約をしていくが、2泊目
から後は現地で探すスタイルの旅を続けている。

「都市にあるホテルが集まっている場所」
へと、メトロやトラムに乗って訪れ、
「どこがいいだろうか」
と、ホテルのたたずまいと料金を、街を歩きながら、建物を見上げ、看板を見上げな
がら歩くのは、欧州を旅しなければ味わえない、ワクワクする楽しみである。

日が傾いてくる時間になる前に宿を探すようにすれば、余裕をもって楽しみながら
歩くことができる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

しかし、この
「都市にあるホテルが集まっている場所」
が、最近の「地球の歩き方」を含めた日本語のガイドブックには書いていないのだ。

そういうことに気付いたのは、10年くらい前のことである。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

20年前の「地球の歩き方」には、
「都市にあるホテルが集まっている場所」
が、周辺地図と宿泊したことのある人の口コミと合わせて紹介されているページがあっ
て、そこを見ながら欧州を旅することが大きな楽しみだった。

そうしたページが消えてしまったのは、10年くらい前、「地球の歩き方」以外のガイド
ブックの創刊が相次いだことに、1つの原因があるのではないかと思う。

それまでの「地球の歩き方」は、比較的文字情報が多く、カラー写真もほとんどなかった。
それに対し、他社のガイドブックは、「見やすさとわかりやすさ」を売りに、全ページ
をオールカラーで、写真とイラストをたくさん載せたスタイルで、販売攻勢をかけたのだ
った。

本屋の旅行書コーナーに行くと、「地球の歩き方」は、一見パッとしなく、みすぼらしく
見えたものだ。
私も、オールカラーの華やかさに気をとられて、他社のガイドブックを何度か、買って
みたりしてしまったこともある。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

何年かして気付いたら、「地球の歩き方」も、他社のガイドブックと同じような、
オールカラーのガイドブックに、いつの間にか、変わっていたのだった。

そして、それと同時に、
「都市にあるホテルが集まっている場所」
が、周辺地図と宿泊したことのある人の口コミと合わせて紹介されているページ
もまた、なくなってしまっていた。
そんなことのように記憶している。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日本語のガイドブックは、全てオールカラー華やかなものになった。
しかし、現地に行った時に必要な肝心な情報が載っていない。

そんなことを、最近、とても思う。
ワクワクするような旅行ができるような情報が載っていないガイドブック
を見ると、ちょっと悲しい気持ちになる。

ホテルを探す場合、地図にプロットされているホテルの密度と街のイメージから、
「都市にあるホテルが集まっている場所」
を読み込んで見つけ出しながら歩くしかない最近なわけだが、欧州の街の中には
そういう場所がいくつかあるのだということを知った上で歩くと、ホテル探しも
余裕をもった楽しいものになると思う。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ロンリープラネット
という英語版のガイドブックが、最近和訳で出ている。

「都市にあるホテルが集まっている場所」
についての記述はないが、ホテルの掲載が歩いて探すことをイメージした文章に
なっている。
また、バーやクラブなど、日本語のガイドブックにはほとんど載っていない
情報もかなり載っているので、現地で役に立つと思う。

カラーページがほとんどなく、文字情報がほとんどのガイドブックで、
一見とっつきにくいかもしれないが、役に立つかもしれない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

最後に、歩いて見つけたホテルで、パリに行くと私がよく訪れるリーズナ
ブルなホテルを紹介したいと思う。

「ホテル モンブラン
というホテルで、立地とサービスがよく、とても居心地がよい2つ星の
ホテルだ。
場所は、サン・ミッシェル橋の広場の交差点から1本目の道を、ノートル
ダム寺院側に入ったところにあり、比較的わかりやすい。

以下「ホテル モンブラン」HP
http://www.france-hotel-guide.com/h75005montblanc2.htm

以下私が撮影した「ホテル モンブラン」の写真
http://photozou.jp/photo/list/146408/403717

☆ ■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□◆□◇◆□■◇◆□■◇◆□ ☆
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■このメールマガジンは、以下の配信システムを利用して
発行しています。
登録と解除の手続きは、下記ページよりお願いいたします。
まぐまぐ 版登録と解除はこちらから
   http://www.mag2.com/m/0000142924.htm
melma ! 版登録と解除はコチラから
   http://www.melma.com/mag/73/m00124773/
E-Magazine版登録と解除はコチラから
   http://www.emaga.com/info/444111.html
めろんぱん版登録と解除はコチラから
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=005065

■ 配信者連絡先 hak444111@yahoo.co.jp
  ご意見、感想等、メールをお待ちしております。